【近況報告 20190610】













【近況報告 20190610】
2019.6.10


毎度、わたくしごとではありますが。


カップ戦第3節の日テレ戦。5月26日。
母親を、初めて女子サッカー観戦に連れて行きました。
前から「一度行きたい」と言われていたのですが、私がずっと対応できずにいたところ、今回の大和なでしこスタジアムは自宅から最も楽に行けることもあって、「(ギオンスより)ここがいい」とご所望があり。


まぁ、言葉が出なくなったのは、考えてみればその前日の夜中でした。


ちなみに、今までも病気にかかってから、言葉が出なくなったことは何度もあります。
声だけが出ないときが多いですが(書くことに慣れているせいか筆談・記述はできる)、頭の中から言葉ごと失うときもありましたし(なぜかホームページを構成するプログラミング言語は書けた)、今回のように、頭の中の言葉は普通に動いていても、声も出ず、外に向けて書くことも難しいという状況にもなりうるのだと分かりました。
今回は、この世にコミュニケーションツールとしての「絵文字」と、「コピペ」や「一発変換」という手段があって、だいぶ助かりました。書き言葉の回復は、スマホやパソコンのキーボードによるタッチ操作を使ったものから徐々に戻してきたので、こうした機器がこういう状態においての補助機能にもなりうるのだと分かったし(自筆による筆談は、今回はコミュニケーションツールとして使えるレベルまでにはまだ回復していません)。
そういえば、最初に話せなくなったときに活躍したのも、携帯(その頃はまだスマホは存在してなくて、ガラケー)のメールでしたっけ。外出していて、話せなくなる危険性を予感したときに、とっさに行きずりの電気店で携帯を買ったのが、そもそも携帯を持ったはじめでした笑。
前にこの場所にも書いたことがありますが、基本、話せなくなるのは、自分の可能範囲を超過することによる防御本能からだと思われます。悪化と言うよりも、省エネ行動、みたい?なのです。なので、病気の悪化とはおそらく直接関係がなく、そういう意味では、あまり心配いりません。


ところで、私はここ数年、二人以上の人と、場を、ある程度の長い時間、共にするのが難しい状態にありました。
どういうことかっていうと、誰かと話すときには、その相手との空間とか時間とかの「場」を共有するわけですが、相手が一人ならなんとか大丈夫だったのですが、それが二人以上になると、場の状態が複雑になって、各お相手との場を両立することが?もしくは複数状態での場に参加することが?とてもつらくなってしまうという。。
複数の人と会うとき、一人の人と会うよりも段違いのレベルでつらくなってしまうことがこういう理由らしいと分かるまでにも、実はずいぶん時間がかかりました。
それは親しさとか、共有した時間の多さが、全く関係がないわけではない感じでしたし、仙台や長野での各最初の年のサポの忘年会のように、例外的にどさくさで何とかなっちゃうときもありました(湯郷の頃は、、どう見えていたかは分かりませんが、今よりはるかに体調の悪い状態で対応していたので、ちょっと比較が難しいです)。それは女子サッカーに対する私の信頼が反映されていたのだと思います。でも、基本的に旧友でも無理なものは無理で、相手がどなたでも同じでした。なので、理由が分かってからは、声をかけてもらったときに一人ずつ会ってもらっていました(めんどくせーやつだな。理解ある友で感謝)。
こうした自分と他者の境界・エリアに関する障害は、まさに私の病気が抱える根本的な症状で、私の病気に典型的な妄想等の様々な症状も、経験上、こうした障害が土台となって発生していると言ってもいいと思っています。


昨年の夏、唐突に、アプリゲームのポケモンGOを久々に再開して、ご近所の方々との交流ができはじめてから、複数で場を共有することに対しても少しずつ回復している気はしていましたが、それはポケモンGOを媒介としていたからで、やはり長時間となると自信がありませんでした。
それが。今年に入って、中野選手がいきなりステラに移籍をして、ついてきた私自身も新しい環境に適応する必要があるということになったとき、その無理なはずのストッパーが外れたんです。
もう、ステラのサポの方なら、どなたにでも私は自分からご挨拶していったし、お相手が複数だろうとなんだろうと、決して無理していたわけではなく、状況に適応していけました。
それは私にとってはすごい回復だった。またも中野選手に感謝です(どんだけ)。
そのおかげで、今年になって開催された中学のクラス会や、大学のサークルで開催された講演会にも出席して、多くの皆さんと一緒に気楽に話す場を共有できましたし、これまでバラバラに会ってきた旧友たちとも一緒に会うことができました。そういう集まりをずっと欠席してきていたので、本当に嬉しかった。
昔の知り合いにも、母親にも、今の私は、以前の私と話し方がほぼ変わらないと言ってもらえるくらいになりました。
なので、母親をサッカー観戦に連れていくときにも、上記のような心配はまったくしませんでした。


しかーし。
甘かった。。
母親はそもそも家族として、私とはかなり特殊な状態の場を形成している人間で、それを、ステラの方々との場、女子サッカーの場に持ち込んでいって、共存させようとすることが、多分、今の私には無理だったのだと思います。


思いがけず、主治医がそのことを指摘してくれました。
先日、定期で通っているその病院に行ったときに、そのあとの予定の関係もあって母親についてきてもらいました。
実はかなり以前に、その主治医にとっては初めて話せない状態で診察を受けたら、主治医の機嫌があまり良くないときに当たってしまったようで、「この病気にはそういう症状はないはずだ」と理解してもらえず、筆談をしようとするも受け付けてもらえず、「話せるようになったらまた来なさい」と言われて、薬を出してもらえなくなるところだった、という苦い経験があり、非常に面倒なので。
母親が、私が今言葉が出なくなっていることとサッカー観戦に一緒に行ったことを主治医に話したら(主治医がサッカー好きなので、私が常にサッカーの話題を通じてコミュニケーションをとっていることを母親も認識していて)、「ああ、それ(母親をサッカー観戦に連れていったこと)が引き金になったかな」と言われて、そのとき初めて自分でも、うわ、そのプレッシャーが話せなくなった原因だったのか! と思い当たりました。
この日は余裕があったのか、言葉が出ないことに対しても、寛容な姿勢を見せてくれる主治医でありました。あー、よかった。
しかし、私は、その指摘でようやく気づくくらい、「場の共有」に関する、自分に起こり得ていた不自由について、すっかり忘れていたのです。まったくもって、喉元すぎればなんとやら苦笑。


そんなことで、とりあえず外部に向けた書き言葉まで回復したところで、話せなくなった「引き金」については、よく理解できたので、記してみました。
今、少しいろいろなことが私の中で起こっていて、この状況を「悪化」と考えるのであれば、「引き金」は、それだったわけですが、まぁこの半年、頑張りすぎたのは確かで、回復に乗じて、ちょっと気づかずに無理をしすぎたかなとも感じていますので、深刻に考えずに、少しのんびりした気持ちで過ごしてみます。
しばらくステラの試合もないし。
でもステラの環境にお邪魔してからというもの、どの経験も、私にとって、とても貴重で楽しいものばかりでした。そのことには、本当に感謝しています。この半年、相手をしてきてくださった皆さまにも、御礼申し上げます。


今回、母親を女子サッカーに連れていくという「自分にとって極端に異なる場をミックスする」ような経験も、ちょっと負荷が過ぎたかもしれませんが、自分の可能性を試すことになったという意味で、やった甲斐はあったと思います。超ハードなリハビリ??笑
ちなみに、母親は初の女子サッカー観戦、楽しんでくれたみたいです。入場待機列に並ぶのがいちばんの関門かもと思っていたのが、大和なでしこスタジアムには、スタジアムがある敷地内に小さな喫茶店があって、ぎりぎりまで休むことができましたし、かなりの猛暑でしたが、早めに入場できたことでたまたま屋根のある風通しの良い席を確保でき、非常に快適に観戦してもらえました。大和なでしこスタジアムに感謝。


それに、今回のことで、「場の共有」に関する不自由が復活したりしたわけではないようです。
声が出ないので、遠慮の気持ちもあって、こちらからのご挨拶が十分にできない可能性はあるのですが、声さえ自然に出るようになれば、現地でも普通レベルのコミュニケーションは可能だと予想しています。


本当はもう少し書かなければいけないことがありますが、今日はここまでにします。