女子サッカー、記憶の最良のバージョンアップを目指して。~永里優季選手の提言に寄せて

なでしこケア(なでケア)のツイッターが拾っているのをスマホの通知で受けて、女子サッカー選手の永里優季選手が、ご自身のnoteで発表した記事を拝見しました。

【記事】新たな時代へ 岐路に立つ女子サッカー〜今私が伝えたいこと(永里優季・note)2019/07/18
https://note.mu/yukinagasato/n/n83a06ac641f6

記事の最後の部分が500円で読めるようになっていますが、この収益の一部を、なでしこケアの活動資金として寄付をなさるということで、課金して最後まで読ませていただきました。

まずは、こういった内容を、選手としてご提言いただいたことを貴重に思いました。なでしこケア立ち上げのときも思いましたが、日本の女子サッカーの世界では、いちばん進んでいるのは選手なのかもしれないですね。

その上で、感じたことを書いてみます。前の投稿あたりから体調不良の真っ只中にあり、テンション低いですがお許しあれ。

永里選手によると、今回のフランスW杯は女子サッカーにとって特別なものだったようですね。世界における女子サッカーの大きな飛躍、本当であれば、おめでたいです。

その片鱗を私の肌でも感じ取れたのが、ここ「なでしこ日和」のツイッターでもNike公式のツイートをRTしてみましたが、永里選手が引用しているNikeのCMの1本目です。

ここでは、アメリカが推してきたいわゆるクールさが絶妙な品質で緩和されており、世界における女子サッカーの役割が、2段階くらいギアが上がったのではないかと感じるクオリティでした。嬉しかったなぁ。

この大会で大きな役割を担ったと言われる優勝国アメリカのミーガン・ラピノー選手の発言は、内容趣旨だけで、直接は耳にしていません。私には強すぎる人だと感じるので笑。
でも、そういった本物のトリックスターが生まれたことは、大会にとっても女子サッカーにとっても非常に素晴らしい賜り物だったのでは。
自国大統領の誘いをこの機会に改めて受けなかったこともまた、アメリカが自力で変革していく道を開きつづけているように感じます。

永里選手がラピノー選手を説明する言葉として引き合いに出してくれた「ダイバシティ」(ダイバーシティ)という言葉は、日本語では簡単には「多様性」と訳される言葉です。あらゆる存在の平等を目指すために、差別や格差を和らげるために目指される概念として、今後も有効だろうと思います。
一方で、私は上でも少し触れましたが、「クール」の概念は、例えばこのダイバーシティを本当に体現しきれるセンスではないのではなのかと感じています。どうしても男性主導の、強者にしか持てない概念に思えてしょうがない。強い人は確かに魅力的で、実行力も高いかもしれませんし、アスリートが目指すものは常に勝利なのかもしれませんが、「クール」に照準を合わせつづけて、本当にあらゆる存在を拾い上げられるのか。と、まぁこの部分は余談です笑。

次に、永里選手の仰る、選手としての精神性の向上や、アスリート「以上」を目指す方向性、考えることの大切さについて。
考えることはもちろん大切ですが、思考に偏ることは、目の前の人が見えなくなってしまう危険性を常にはらんでいると思っています。

少し回り道になりますが、私は、女子サッカー選手が掛け持ちで様々な仕事をした状態で社会に存在していることを、とても重要だと思ってきました。
この状態こそが、永里選手が仰るような、まさにアスリート「以上」をすでに体現していると思っているからです。

よほど特殊な職業でないかぎり、職場にいる選手の皆さんは、社員の皆さんとともに、また、皆さんと毎日顔を合わせて働いているでしょう。
その現場に、「女子サッカー選手であること」を常に含みながら存在していることで、各々の範囲は小さいかもしれませんが、自然と女子サッカーへの理解や共感を育てているし、同時に日々、社会で生きる知恵も確実に身につけているだろうと思うのです。ここに精神性の向上を可能にする土壌がふんだんにある。

私は、この女子サッカーが日本社会に適応するために培ってきた知恵こそが、2011年でのW杯のなでしこジャパン優勝を支えた、日本の女子サッカーの強さの土台であると想像してきました。
女子サッカーを日本社会で最低限、根付かせるのに、これほどよい潜り込み方は、他になかったのではないかとさえ思います。
ここで培われた知恵は、この先も大事にされてよいと思いますし、日本の女子サッカー史上の貴重な足跡となるはずです。そのことを、単なる女子サッカーの低迷による側面としてでなく、誇りに思っていてほしいなと。

ここで少しまた余談になりますが、永里選手は2011年W杯の、日本女子サッカーの「強烈な目的意識」として、「東日本大震災からの復興」をあげておられますね。
あれから、8年が過ぎました。
人は、魂の回復のプロセスとして、記憶のバージョンアップが不可欠であると、昨年暮れに出たある新聞記事に書いてありました。つまり、記憶の、自分の中での新たな物語化です。

【記事】回復って何だろう(私の物語をたどって4・朝日新聞・東京都医学総合研究所公式)2018/12/17
http://www.igakuken.or.jp/topics/2018/doc4.pdf

震災直後から「物語化が急務」だという意見を多数聞きましたが、え、必要なのは分かるがすぐには無理、、時間がかかるのは当然だと思っていて、実際、日本全体に波及するような物語化にはなかなか至りませんでした。

この7月から、フジテレビの月9の枠で「監察医 朝顔」というドラマが始まっています。

【サイト】監察医 朝顔(フジテレビ)
https://www.fujitv.co.jp/asagao/

漫画の原作では、阪神淡路大震災にまつわる設定だったものを、ドラマでは東日本大震災に替えてあるのだそうです。
拝見しながら、ようやくここまで来たか、という安堵の気持ちが起こりました。
あの年、なでしこジャパンのW杯優勝は、震災の悲劇を追いかけて、他のものでは替われない大事な灯火をくれました。

私が女子サッカーに関わりはじめたのも、2011年のなでしこジャパンのW杯出場中からでした。この優勝の真の意味や価値が物語化されるのは、もしかするとこれからなのかもしれない、とドラマを観ていて思いました。
女子サッカー界自体が、新たな物語化、記憶のバージョンアップを行う時期にあるのだと思います。成し遂げたことが大きかったゆえに、バージョンアップにも苦しみが伴っているのかもしれません。でも日本の女子サッカーならそれが担えると思われたからこそ、あの優勝があったように思うのです。運命として。どうぞ自信を持っていてほしい。
必ず最良の形のバージョンアップができる――。個人的にこれまでの8年間、とても多くの恩恵をもらってきた女子サッカーに、この場所でお返しになるような、記憶のバージョンアップを一緒に助けていくようなことができないか、とも思っています。

話を元に戻します。
プロ化が目指されている未来を考えると、これまで女子サッカー界で潜在的に育まれてきた知恵は、今後、変質していくでしょう。完全にプロ化すれば、選手は社会から今までより切り離された存在になります。ある意味、怖さを感じます。
女子サッカーに親しみのない人たちに、相手が大人であれ子どもであれ、自分たちのことを伝える機会=どう伝えるのがいいのか、どうしたら近い存在にしてもらえるのかを選手自身が目の前の人に向き合ってじかに感じ取って検討していく機会を、試合以外で、普及活動や地域活動などを通して確実に増やしていく必要があるだろうと思います。

今、お勤めの現場にいる選手の皆さんは、これだけ個人発信が盛んになった状況でも、個人として発信することが難しい立場であることも考えられます。
そのときには、自分の目と手の届く範囲で、女子サッカーを体現していくことの方を大事にしてなんら問題ない。そこを疎かにして遠くに向けて発信する意義はないと思います。
あるいは、個人の範囲での、選手の方同士の交流を拝見するだけでも、女子サッカーの姿が立体的に垣間見えることがあります。

もちろん、すでにプロとして活動している選手は、女子サッカーのビジョンを育てる役割も担ってほしいですし、まさに永里選手や川澄奈穂美選手が長いことやってくださっているように、コンスタントな発信は大切ですよね。

全員が均質な役割をこなす必要はまったくないので、これからも社会の中でバラエティに飛んだ活躍で、女子サッカーの根を張りつづけてほしいです。どこにいたとしても、その立場は、選手・元選手でなければ担えないのですから。

って、、自立するエネルギーが足りなくて、最後はいつの間にか、選手の方々に話しかけていますが笑、これも「外から」でないと言えないことです。

永里優季選手、ご提言に対して、拮抗するようなことを多く書きましたが、いずれも永里選手の記事があったからこそ、言葉にできたことです。エネルギー溢れる貴重な意見を聞かせていただいて、ありがとうございました。
これからも女子サッカーを牽引する力として、永里道を突っ走ってください笑。

まだ得体の知れない場所から、日本の女子サッカーの豊かな発展を願って。
(もうちょっと楽しそうに話そうよ。ほんとテンション低くてすみません。。)

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